ちょっと長い、自己紹介

\  ハイパーライフコンシェルジュ /
hanzo.handa(ハンゾー・ハンダ)拙こと、通称”ハンゾー”でございます。

拙とは、拙者(せっしゃ)の拙(せつ)、すなわち自分を「拙」と言う。

日本語は、一人称が多すぎる。
どう対応するべきか考えて、コンテンツ上では自分の事を、そう表現すると決めました。

それから名前は、ビジネス用の号(屋号)です。
面倒なので名前が先、苗字は後で統一。

インターネット世界は、ワールドワイドですからね。
なんだか、ヘンテコで面白い。

そんなわけで、お世話になります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

日光二荒山神社 男体山、登山口

【プロフィール】

hanzo.handa (ハンゾー・ハンダ)
1975年 栃木県日光市生まれ
本名 半田 崇(Takashi Handa)

「地球私民」
「プロフェッショナル・パフォーマンス・メンタルコーチ」
「デジタルコンテンツクリエーター」

高校卒業後、一般海曹候補学生として、海上自衛隊に入隊。
潜水艦勤務を熱望するも、希望叶わず。放心状態のまま退職。
旅に活路を見つけ、期間工や契約社員として工場労働をしながら、世界を放浪するバックパッカーになる。
1998年より、インターネットプロバイダー、テクニカルサポートエンジニアとして、IT業界に関わる。
以後、フリーランスにて、Webクリエーター活動をしながら、会社員として働く、ハイブリットワーキングスタイル。
2010年から始めた、メンタルコーチングの活動を通じて、職に対して不満を持つ人が多いことに気付き始める。
2011 年に起きた東日本大震災に影響を受け、自由に移動できること、自由に職を選べること「移・職・自由」を目指すことを決意。
以後、ライフコーチとして、常識に縛られない生き方を目指す人々に、メンタルコーチング活動を行っている。
2024年、日本のデジタルノマドビザの発給を踏まえ、新たな波に備え、デジタルビジネスクリエーターの養成活動を本格的に開始する。


【プロローグ】

信じられる?世界中の至る所で、大人がドンパチやってんだぜ。

世界中には、弾丸やら、火薬やら、爆弾やら、魚雷やら、ミサイルやらがそこら中に溢れてるわけです。

知らないだけで、日本の中にもたくさんある。

僕らは、いつでも、権力によって、死なせられる状態にある。

日本でも、世界でも、だいたい状況はおんなじ。

もしそうじゃないってなら、たまたま今は、標的になっていないだけ。

人生いろいろ大変だけど、
致死率の極めて低い、この現代日本国の、国ガチャに当選したんだから、それだけでも儲け物だって感覚、、、、

やっぱ、ムズカシイよな。。。

「生きてるだけで、丸儲け」(I.M.A.L.U.)

タレント「明石家さんま」

だよね。


【ストーリー】

とありたい、とありたい。
とありたくない、とありたい。
からこそ、ありたくない。
それで、とあるのだ。

苫米地英人著『超訳般若心経』より

非常識な世界の始まり

潜水艦甲板にて

高校卒業後、一般海曹候補学生として、海上自衛隊に入隊しました。

今までの常識が、変わった瞬間。

平和な日本では、感じられない日常。

武器・兵器・戦争、そして在日米軍の存在。

大人の一歩を、横須賀で踏み出しました。

戦車に乗ってみた。

潜水艦、こいつに決めた

自衛隊に入ったきっかけ、それはパイロット。

残念ながら、パイロットコースには入れなかったけれど、航空機・飛行機関係の仕事がしたい。

海上自衛隊を選んだのは、船と飛行機両方関われるから。

どうせパイロットがダメなら、ちょっと違った飛行機との関わり方がありそう。

そう思っていたけれど、潜水艦を見た時、事態は急変します。

これで、生きていこう。潜水艦乗りとして生涯をすごそう。
使命を決めた瞬間でした。

横須賀潜水艦隊司令部

目的を失った時、人は生きるのが辛くなる

潜水艦勤務を決めた時、心も体も軽くなります。

辛い訓練が、面白いほど辛く無くなる。

足取り軽いとはまさにこのこと。

運動苦手の拙にとって、自衛隊の訓練はきつかった。
でも、不思議と日々の訓練が楽になる。

きつければきついほど、パワーがみなぎる、そんな日々。
でも、それは残念ながら続きませんでした。

潜水艦勤務不適格。

つまり、潜水艦には乗れない。

残念だけど、それはシステム。

パイロットも、潜水艦も、夢叶わず。

心は一気に急降下。

ただ辛い訓練を、辛い日々として過ごすだけ。
自衛隊の中に、拙の生きる道はありません。

とりあえず、訓練を最後までこなす。
目的は、それだけになってしまいました。

海上自衛隊、第二術科学校にて

その日が、突然やってきた

自衛隊を退職し、目的も、生き甲斐もなく悶々と過ごす日々。

とりあえず、お金を稼がなくてはならないので、期間工として自動車工場で働きます。

重い部品、ラインに合わせてただ体を動かすだけの単純労働。
でも、何よりも生き甲斐がないこと、やりたいことがないことが辛いそんな毎日でした。

そしてある日、ようやくやりたいことが見つかります。

荷物の中に入っていた、一冊の本がきっかけです。
沢木耕太郎『深夜特急』

当時バックパッカーと呼ばれていた、旅人のバイブル的な本なのですが、
拙は旅が主題の本とは知らずに購入し持っていました。

読み始めたら、面白い。

いつか世界を旅したい。
そんな夢物語が、現実にできることだとわかり、そういう旅があるのだと知った時、魂のスイッチが入ります。

沢木耕太郎『深夜特急』

思い立ったら今すぐの、衝動

「ある朝、目を覚ました時、これはもうぐずぐずしてはいられない、と思ってしまったのだ」
沢木耕太郎『深夜特急』は、そこから旅が始まります。

中国に返還されたら、どうなるか分からない。
返還前までに、一度は訪れておこう。

そう思っていたある日のこと、
香港では、返還の準備が始まっている旨のニュースを目にします。
行くなら今だ!

そう思った拙は、初めてのパスポートを取得し、新宿のHISに駆け込みます。
仕事を辞め、『地球の歩き方』を片手に、香港に旅立ちます。

香港ーネーザンロード

海外旅行なんて、夢のまた夢だと思ってました

初めての海外、初めての香港。

見るもの全てが衝撃で、見るもの全てが常識外。
とにかく笑いが止まらない、漢字ばかりの世界。

そして、日本とは全く違う文化。
こんなに近くて、同じような人種の人たちの文化なのに、これほど違うとは思わなかった。

周りは、旅行者や出稼ぎの外国人だらけ。
いえ、そこでは自分が外国人なんですけどね。

これまで感じなかった、日本にはない心地悪さと、外国人であることの心地よさそして、旅という、生産性から離れた世界がよかったんだと思います。

そして、同じ日本人でありながら、日本人的でない人たちに混じったこと。
それが大きかった。

当然だけど、周りは旅しながら生きているバックパッカーばかり。

今まで考えていた将来や、夢、そういったものは、ただの職業、職種でしかなかった。

本当にやりたいことは何か、それは常識の中にはないってことを、ここで知りました。

そして、そんな常識はずれの人たちが、常識のようにいる世界があることを知ります。

香港

日本にいたら、そうにはならなかった

約1ヶ月間の香港から帰国し、次の目的地を目指します。

今度の旅は、半年をかけて東南アジアを巡る旅。

香港の安宿で知り合った、バックパッカーたちの話を聞き、東南アジアを回りたくなりました。

旅費を稼ぐためにもう一度、期間工として自動車工場で仕事をします。

ベトナムからカンボジアへ。乗合トラックにて

人生に目的があるって、心も体も軽くなる

今度はお金を稼ぐことに、目的があります。

前回、自動車工場にて期間工をやっていた時は、こんなに辛い仕事があるのか、と思ってました。

でも、今度は違います。

そうなると同じライン作業でも、やっていて苦にならない。
旅の工程を考えながら、体が勝手に動いてくれます。

手っ取り早くお金が稼げる、ライン作業、万歳です。


山奥で出会った「.com」何それ?

中国、大理で衝撃の「アハ体験」に出逢います。

「http://www.〇〇〇.com」@とInternet service の文字。

確かにそれまでも、至る所で見た気がします。
でも、それがなんなのかよくわからなかった。


当時まだ、日本の中では、インターネットの存在を、ほとんど感じることはありませんでした。


パソコンに多少詳しかった拙ではありますが、@の記号をなんて読むのかわからなかった。


大学の友達からは、多少聞いていたけれど、パソコン通信と何が違うのか、よくわかりませんでした。

そして、大理の山奥で気づきます。

インターネット、すごくない?

通信手段が、国際電話や国際FAXだった時代です。

AIRメールを中央郵便局に局留めしてもらって、やり取りをしていた時代。

インターネットは、地球の裏側と、瞬時に、しかも安く通信できる。
いまや当たり前ですけど、当時それは画期的で、将来性があると感じました。

中国桂林にて

人生が変わった。初のMac、 PowerBook1400CS

インターネットに未来を感じ、これを仕事にしたい。

そう思った瞬間、これまで旅費のためだった稼ぎが、パソコン購入資金に変わります。

当時まだPCは、高かった。
しかも、工場の寮を転々としていた身ですから、ノートパソコンじゃなくちゃなりません。
ローンが使える年齢で、本当によかった。

非正規雇用だったけど、なんとかローンが通って、パソコンを買うことができました。

とはいえ、今のようにインターネットに手軽に繋げるわけじゃない。

モデムを使って、電話回線を通じてインターネットに接続するスタイル。
電話代もバカにならない。

それでも、インターネットの世界は魅力的だった。
未来が感じられたんです。

PowerBook 1400 本当は2300が、欲しかった。。。

うちの会社、できる人、いらないから

まだ、インターネットが、世間では通じなかった日本ですが、夜明けはもう始まっていました。

インターネットに接続する人が増え、接続会社プロバイダーサービスが急増します。
今思えば、相当ラッキーだったのですが、プロバイダーで仕事をすることになりました。

テクニカルサポートサービス。

電話を使ったサポートで、お客様をインターネットに接続させること、インターネット上のトラブルを解消することが仕事です。

当時まだ、パソコンをインターネットに接続させるには、モデムなどの別装置が必要だったり、ドライバーのインストールなどが必要でした。

当然自分でできない、パソコン初心者のお客様を、電話を使った話術で、接続させるわけですから、レベルは高い。
でもだからこそ、まだ初心者で、それでもなんとか自力で、インターネットに繋げられる人間が必要だったのです。

採用時に言われたことがあります。
「うちの会社、できる人、いらないから。マウスを知ってて、使えること。それが採用の条件」だと。

お客様が何で困っているかを考えて、それを自分で克服して、お客様に再現すること、それがテクサポの仕事でした。

しかも、拙が始めたのはMac。

今でこそ珍しくないですが、Macを使っている人間は、少数派。
Mac使いは重宝されました。

ただし、需要は圧倒的にWindowsにありましたから、両方できるようになりました。

日本で購入できるであろう、全てのハードがそこにはあり、それを使って実験させてくれた環境だったんです。

コスパ重視の今ではあり得ない、幸運でした。


笑われるくらいが、かっこいい!

テクサポの仕事は、最高に楽しかった。
周りの人間が、みんな好きでやっている人ばかり。

特にMacチームは、当然Macオタクばかりで、当時まだパソコンの話をすれば、オタクと煙たがられた時代ですから、そんな環境が心地よかった。
そして、働いている人のほとんどが派遣社員。

今では逆に、非正規と言われ何か悪いことのように扱われますが、会社に縛られず自由に働けるワークスタイルは、心地いいものでした。

そして、そんな人たちは、別に仕事やプロ級の趣味を持っていて、色んなことをやっている人が多い。

特にパソコンに詳しい人間に多いのが、音楽クリエーターと、グラフィックデザイナー。

特に時代は、アートがデジタルを模索していた時代。
そこにインターネットが加わって、新しいアートの可能性を予感させていました。

拙は当時、高城剛氏が名乗っていた「ハイパーメディアクリエーター」に憧れておりました。

みんな意味わからないって、笑ってたけど、わかる人には、わかるくらいが、ちょうど良いんだよね。


知ってる?「開国してくださーい!」のFlashアニメ

拙がその頃、最も興味があったのが、アニメーションスタイルのホームページ。

当時のインターネット環境は、まだまだ遅く、写真やグラフィカルなものを表現するのはなかなか難しかった。

そんな中、Macromedia(のちにadobeに買収)のアニメーション技術、Flashが普及し始めます。

初めて目にした動くホームページ、http://eye4u.comは、衝撃で、最高にクールカだった。

機械的なことは得意な拙ですが、デザインやグラフィカルな話にはちと疎い。
独学にも限界があるとわかり、当時唯一のスクールだった、「デジタルハリウッド」にて、学びました。

この時から、クリエーターを名乗り、ホームページ作成やディレクションなど、Web業界で仕事をしています。

専業じゃなくても良い、好きな時に、好きなようにやれば良い。
それが可能なのが、インターネット世界。

今でこそ、ノマドスタイルというのが定着していますが、もうすでに当時みんな当たり前にやっていました。


ホメオスタシスが、邪魔をする

好きなことで、好きに稼ぐ。

きっとみんなそれに憧れ、それを目指していると思います。

拙は、IT業界で仕事をするようになって、それが手に入ったと感じました。
ところがそこに落とし穴があります。

ホメオスタシスです。

これまでの仕事とは、仕方なくやるもの、自分の好きなこととは違うものというイメージがありました。
また、仕事とは肉体労働であり、椅子に座って、お茶を飲みながらするものではなかった。

そして、まだ当時インフラとしては弱かったインターネットは、単なるお遊びでしかなく、そんなお遊びが、飯の種になるなんて、なんだかおかしいという気さえするんです。

ラグジュリーなオフィスで、服装も自由で、趣味の延長のような仕事。
それは、仕事ではなく、あくまでも趣味。

そんな気分になり、次第にそこから遠ざかりたいという、不思議な悩みがそこに誕生することになります。


こころーメンタルーそれは、脳のシステム

やる気がなかった、旅行前とは状況は全く違いましたが、次第にこころが晴れない日が、続きます。

なんで、そうなんだろう?やる気はないわけじゃないのに。

メンタルヘルスの重要性が騒がれ始めてきた時代。
「鬱」という言葉が一般化しはじめ、それまでの「怠けぐせ」が、「うつ病」に変わり、拙もまもなく「うつ病患者」になりました。
薬の力を借り、なんとか酷いことにはなりませんでしたが、気分が晴れることはありません。

そんな時出会ったのが、自己啓発とメンタルコーチングの世界。
もともと、パソコンの世界が好きだった拙。
人間の脳もコンピューターと一緒で、重要なのはハードよりもソフト。
パソコンの場合、基本ソフトであるOSが変わることで、使い勝手が変わり生産性が変わります。

特にMacとWindowsの差を知っている拙にとって、それは常識的な考え方。
当時、MacもWindowsも同じCPUになり、同じハード構成になったにも関わらず、使い勝手が違う。

脳も同じで、考え方、使い方を変えることで、プロセスが変わります。
薬をつかって、無理やり気分を変えても、結局考え方を変えなければ意味がない。

それがわかった瞬間でした。


鬱やってる暇はない。と思って、上を向いたら。。。

このまま鬱をやっていても、時間がもったいない。

仕事をオフィスワークから、現場仕事に変え、再起を図ります。
もちろん、クリエーター仕事は、一人でも出来るわけだし、兼業すれば良いんですから。

ある時、上を向いたら、近くにあったNTTの鉄塔で、アンテナを調整している人たちがいました。

ひとりじゃ出来ない仕事をしたい。

無線や通信は、もともと好きだったし、やってみたいと思い、アンテナ整備を行っている、通信会社に入ることにしました。


まるで人が、蟻のようだ!高いとこから見下ろす世界

鉄塔作業は、思っていたよりもハードでキツイ仕事でした。

山登りは、なんとなくイメージできていましたが、ハシゴを上に登る経験なんて、ほとんどありません。
50メートルの鉄塔を、機材を背負って登るのは、結構キツイんです。
そして、高所作業。
とにかく怖かった。

でも、人間すごいですね。
結構すぐに慣れてしまう。
でも、それが怖い。

慣れた頃の事故はつきもの。
自分自身の落下もそうですが、最も気を使うのは、機材や部品、工具の落下事故。

真下には、人が歩いていたり、車が走っている道路なんていう現場もよくあるんです。

拙の会社がやっていたアンテナは、主に携帯電話関連。

重要なインフラに関わる設備でしたから、作業は、常に時間との勝負になります。

そして、現場の職人たちは、荒くれ者が多い。
また高所では、常に風が強く吹いている。

何があっても、冷静に、安全に、そして素早く。
そのスキルが身についたことは、大きかった。

それから、毎日違う風景を、上から目線で眺める。
普通の人では絶対に見れない景色が、そこにはありました。

忙しかったし、辛かったけど、結構楽しい仕事でした。

そういえばいつの間にか、鬱は無くなっていました。
だって、鬱やってる暇、本当にないくらい忙しかったですから。

携帯電話の普及とエリアの拡大。
これも、今思えば、時代の波だったんですね。

横浜駅西口、鉄塔からの風景

好きなことをやる。の本当の意味。

その後、飛行機工場で戦闘機の部品の検査員の仕事、
外資系ラグジュアリーホテルで、設備のメンテナンスなど、
一人では関われないような世界で働いてきました。

会社で働くって、個人では関われない領域に踏み込むことができます。

自分の思い通りにはならないことの方が多いですけど、それはそれ。
100%思い通りにやる仕事と、組み合わせればいいんです。

インターネットビジネスで起業するも良し、店を出すもよし。
常識にとらわれずに生きれば、この世は結構面白い。

そんな状況が、今の日本にはあります。

そして、気づくはずです。

ビジネスを、もしお金のやりとりと定義するならば、それは、人とのコミュニケーションであるのだと。

給料所得者をやってるだけじゃ、なかなか気づかない。
稼ぐとは、人からお金をもらうことだという、当たり前の感覚。

それともう一つ、職は、金を稼ぐ、単なる生きるための手段にあらず。
自己実現の場だってこと。

いつの間にやら世間では、非正規雇用という言葉が、乱用され、仕事に正規が存在するように扱われています。

でもそれは、どっかの議員が、弱者の味方のふりをして、票を取るための言葉でしかない。

会社の形、仕事の形、稼ぎの形はいくらでもある。

富国強兵時代の国家の考え方、社会のあり方は、残念ながら通用しません。

とらわれない生き方をする。それが、好きなことをやるに繋がるんだと思います。

やっぱ、自給自足が夢だよね。

目指すは、「移・職・自由」

結局拙が目指すのは、自由自在に生きれることなのだと思います。

そして、それを目指す人の手助けをすること。

それが、拙の肩書き「ハイパーライフコンシェルジュ」

今まで拙が見てきた、感じてきた、常識に囚われないことの大切さ。

そしてインターネットによって普及した、ネットビジネス。
そこに、メンタルコーチとして学んだ技術。

それを組み合わせて、自由自在な暮らし、生き方「移・職・自由」を提供することが、拙の本当のお仕事です。

これからも、拙自信それを追求し、それを望む人たちに教えられるよう生きていく次第です。

憧れの、バンライフ


【趣味とか、活動、ライフワークなどなど】

プロフェッショナル・パフォーマンス・メンタルコーチ

メンタルコーチングの祖とも言われる「ルー・タイス」のコーチングシステムを学び、受け継いでいます。

残念ながら、ルー・タイス生前に直接指導を受けることはできませんでしたが、「ルー・タイス」の開発したTPIEメソッドを監修した脳機能学者の「苫米地英人」博士、「ルー・タイス」の弟子で、「ルー・タイス」のコーチングメソッドを受け継ぐ、北米オリンピック協会のマスターコーチで、史上最多金メダリスト「マイケル・フェリプス」のコーチである、「マーク・シューベルト」氏の指導のもと、メンタルコーチング技術を学びました。

プロスポーツ業界、軍関係、アメリカ、Fortune・グローバル500や、Forbes・グローバル2000の役員や社員教育などに、採用されている、TPIEメソッドをベースとしたプリンシプルで、最新の脳機能学に基づいたメンタルコーチング技術です。

特に、脳機能学者「苫米地英人」博士は、世界でも類を見ない脱洗脳者でもあり、その技術を逆に応用し、クライアントの自己実現を可能にするのが、メンタルコーチングです。

Ph.D「苫米地英人」

マスターコーチ「マーク・シューベルト」

伝統野菜と、野口の種

掛け合わせの種(F1種)ではない、伝統野菜の研究と普及活動をしています。

栃木県新里地区に根付く「新里ねぎ」の種を、「野口のたね」に納品させていただきました。

自分で食べるものは、自分で育てる。自給自足のための、野菜の栽培、植物の栽培は、今後の課題です。

野口の種にネギの種を納品

狩猟免許

今日本では、害獣の被害が増大しています。

間違った正義感、間違った動物愛護は、我々人間のみならず、地球環境への悪影響を及ぼします。

害獣駆除は、自給自足や、地産地消の鍵ではありますが、日本ではなかなか難しい。

若手の育成がうまくいかないのは、さまざまな要因がありますが、時間、お金、風潮すべてが、うまく回っていません。

残念ながら、拙もペーパー狩猟免許でしかなく、実際に活動するのは難しい。
今後の課題です。


自動車整備士

移動手段がなくなることの恐怖を、震災で感じました。

もちろん最大の移動手段は「足」
快速電車をあてにした、通勤手段と、長距離歩ける靴を履いていなかったことで、帰宅難民化した拙には、辛いものになってしまいました。

また、バイク・車はあっても、燃料がない。

そんな状況の経験則から、化石燃料以外の機関、人力による長距離移動手段、そんな移動手段の確保と研究は、急務であります。

せめて、既存の自動車の整備・修理はできるようにと、整備士にはなりました。

ちなみに、この自己紹介のタイトル写真の車、空冷のワーゲンは、半導体をほとんど使っていないので、磁気嵐や宇宙放射線の影響が最小になってます。

震災後の名取市

神奈川県立東部職業訓練校にて

アマチュア無線

高校生の時にとった、アマチュア無線ですが、携帯電話の普及で、活躍の場が減ってしまいましたね。

電波も、波の一つですから、波の性質を知る上で、いろいろ参考になります。

最近は、ドローンにカメラを載せて、映像を飛ばすために使っています。

ほんとに素人レベルですけど、やっぱアンテナとか、面白いですね。

携帯電話の基地局整備もやってましたので、陸特1級も持ってます。
でも、結局は「特殊」レベル(制限ありの簡単免許)止まりですけどね。

いつかは、「特殊」がつかない無線免許にチャレンジしようと思います。

高校生の時に買ったC550、修理しながら今だに使ってます。

ドローン

撮影用のDJIと、レース用の自作ドローン。
両方あります。

あくまで、趣味です。

最近ちと忙しくて、なかなか飛ばせてないんですが、この趣味は続くと思います。

制作の面白さと、飛ばす面白さ、さらに撮影の面白さも合わさって、最高の趣味ですね。

ただし、先立つものもかかりすぎ。

登録が必要になったので、少し大きめのドローンを新たに制作しようと算段中です。

あと、登録の必要のない小さなやつも、やっぱり面白いんで、、、
結局増えるやつ。です。

なんだかんだで、結局増える。

初代DJI Mavic。 見えないんで、オレンジにしてます。

釣り

子供の頃から、釣りはやってます。
田舎育ちですから。

でも最近は、どこで釣りをするか?
川にこだわりすぎて、なかなか行けてない。

川釣りって、制限が多すぎて、利権が多すぎて、なんだか冷めてしまう側面もあります。

いっそ、管理釣り場を極めてみようかなと思っています。

渓流釣り、ルアーとてんから。
ヤマメ・イワナ・トラウト系ですね。

わかさぎは、何度かトライしてますが、はまらないかなぁ。

でも、釣りやっぱり好きなんですよね。

残念ながら、海釣りは、やったことがない。

海上自衛隊にいたのにね。

だって、何が釣れるか、よくわからないんですもん。
餌もよくわからないし。

今度チャレンジしてみます。


アウトドアとスカウト活動

最近は、キャンプブームですよね。

拙の場合、キャンプというより野営です。

ボーイスカウトやっていました。
カブスカウト時代から、シニアースカウト(現ベンチャースカウト)まで、つまり小学3年生から高校卒業までです。
第10回日本ジャンボリー、第3回ベンチャースカウト参加です。

もちろん、アウトドア遊びだけでなく、ボランティア精神や、スカウティング精神も、(自分で思っているよりも)身についているみたいです。

大人になって、今になって、つくづくそれを感じます。

「備えよつねに」

ボーイスカウトの「モットー」

「自分のカヌーは、自分で漕げ」

ボーイスカウト創始者「ベーデン・パウエル」

上記2つの言葉と、スカウトの8つのおきては、今でも心に刻まれ、心にいつも留め置いてます。

スカウトは誠実である
スカウトは友情にあつい
スカウトは礼儀正しい
スカウトは親切である
スカウトは快活である
スカウトは質素である
スカウトは勇敢である
スカウトは感謝の心を持つ

スカウトの8つのおきて

海上自衛隊で身につけた、シーマンシップ

「スマートで目先が聞いて几帳面、負けじ魂これぞ船乗り」

海軍伝統シーマンシップ

これは、旧帝国海軍時代から伝わる「シーマンシップ」の言葉。

「五省」・「シーマンシップの3S」とともに、海上自衛隊時代に学びました。

一、 至誠に悖(もと)るなかりしか
〔誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか〕

二、 言行に恥づるなかりしか
〔発言や行動に、過ちや反省するところはなかったか〕

三、 気力に欠くるなかりしか
〔物事を成し遂げようとする精神力は、十分であったか〕

四、 努力に憾(うら)みなかりしか
〔目的を達成するために、惜しみなく努力したか〕

五、 不精に亘(わた)るなかりしか
〔怠けたり、面倒くさがったりしたことはなかったか〕

「五省」

Smart(スマート)機敏に

Steady(ステディ)着実に

Silent(サイレント)静粛に

シーマンシップの3S

航海訓練

ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん

アニメ『交響詩篇エウレカセブン』より

これが、人生最大のモットー、そして好きな言葉。
やるしかないよね。

いつか、あなたとお会いし、一緒に活動できる日、楽しみにしております。

そして、あなたの人生が、より良いものでありますように。

油の採取をするために、菜の花を育ててみた。

ですね。

hanzo. 拝